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執筆者の写真Aarteeni

「毒親育ち・機能不全家族育ちからの卒業」、ここを目指すといいんじゃない?考(インナーチャイルドの癒し)


心を癒す風景

「毒親育ち」はどこをゴールにしたらいい?



自分の親がいわゆる「毒親」だった、

家庭が「機能不全家族」だった、

自分はアダルトチルドレンかも、


そのしんどさを大人になってから

気づき、癒している…


そのことは

ご自身の人生を大切にする意味で

とても尊いことですよね。



けれど



昨今いろんな情報が氾濫していて


目指すところを

どこに置いたらいいのか

少し迷子になってしまう方も

いらっしゃるかもしれません。




これはわたしの考え方で

「どこを目指すも人それぞれ」が前提ではありますが



ここを「ゴール」「最終目標」にしてしまうと

自分の人生を生きるうえでは

あんまり根本的な解決にならないんじゃないかな?


思う「通過地点」があります。




それは


〇「毒親」と対決する

〇「毒親」に「こんなに苦しかった」と訴える

〇親や家族との「和解」を目指す

〇親や家族に「謝ってもらう」ことを目指す

〇家族を「許そう」と無理に思いこむ

〇つらい過去を「もう忘れよう」と無理やりポジティブになる…等など。






親と対決して

つまりリベンジして「親に勝つ」こと、


苦しさを訴えたり

謝ってもらうことで

「自分が親に認められた」と感じること、


和解することで

「欲しかった愛情を親本人から得る」ことは


親がどういう人で

どういう状況にいるのか、などに

左右されるものなので


成功しないケースも本当に多くあるのです。



それで

成功せずかえって傷つきを深めてしまったり


相手に納得のいく答えをもらうことに

フォーカスするあまり、


「親をコントロールしたい沼」に

はまってしまうこともあるからです。



フォーカス先が、親になってしまって

親への期待が叶わない限りは

幸せになれない…



それは

子どもの頃の立場と同じように

不安定な感じがしませんかね。



自分の気持ちを無理に抑圧・コントロールして

ゆるしや感謝に向けるのも

子どもの頃の抑圧のパターン

似ていたりしませんかね。




もし仮に

親との和解や

謝罪をもらうことに成功したとして。




それは一時的にすっきりする出来事で

カタルシスが得られることもあるけど

(インナーチャイルドセラピーで

そういう体感を得てもらうこともありますし)



「毒親」の家庭

「機能不全家族」で培った


「自分を幸せにしない生き方」が


自分の中から

消えてなくなる訳ではありません。





すると


親や家族と似た人が現れるたびに

親を投影して

またつらいパターンに陥って

しまったり


そのたびに

自己否定の感覚を

強めてしまうこともあるんです。




それは

とてもしんどいこと。


癒しの空間



わたしは思うのですが



「毒親」に育てられた、

「機能不全家族」で育った、

アダルトチルドレンかもしれない、


という方は



過酷な環境を生きぬいた力強さや

家族を思いやった優しさ、

超人的な忍耐力、

繊細な感受性などなど


素敵なものをたくさん蓄えてきたじゃないですか。




それが生かされないまま

「自分を幸せにしないパターン」のせいで

不本意な方向に向かってるなんて

もったいないな、と


思うんですよね。




重ね重ねですが

「親と対決」などの

プロセスが必要な方もいらっしゃいます。



ですが


せっかくご自身に向き合う力があるなら

そのプロセスの先を体験してほしいな、

というのが本音です。




じゃあ

どこを目指すのがいいのか。




インナーチャイルドを癒して、毒を解毒し、自分の人生を取りもどす



わたしの考えとしては



もし「毒親」に育てられたと感じるなら


なにが自分の毒になったのかを知って

それを解毒し埋めること




「機能不全家族」で育ったと感じるなら


なにが不全だったせいで

自分が苦しいのかを解いて埋めること



「アダルトチルドレン」ではないかと思うなら


今、どんな思考行動のクセや

感情の抑圧があって

しんどいのかを知って変えていくこと


ではないかなと思ってます。




それはつまり

先述した


「自分を幸せにしない生き方」の卒業の方向、



たとえば


ガマンばかりしてしまう、とか

自己否定してしまう、とか


人との境界性がわからない、

いつも依存してしまう、


いつも「こうあるべき」を優先する、

やりたいことができない、


いつも期待に応えようとして疲れる、

承認欲求に振り回される、


なぜか人間関係うまくいかない、

なぜか腹の立つ人ばかり現れる…



そんなことなどを認識して、

それらをゆるめ


その外に出て

幸せの方向へ向かうこと。



完全にそうできない時があっても


自分で(あるいは人の手をかりて)修正しながら

自分を労わりながら生きること



なのではないかと

今の時点では思います。




修正しながら、と書いたのは


「完全に抜け出せました!」

「許せました!」


というのをゴールにすると


もしまた揺り戻しがあった時に


「無理やりポジティブ」に偏って

かえって自分の素直な気持ちの抑圧を深めることもあるから、

という思いもあるためです。




いいんです。

完ぺきじゃなくても。




わたしだって

いま現在


実母の看護中に

昔の癒えてない気持ちに

気づいたりすることもあります。




ああ、

いつも愚痴の聞き役でイヤだったなあ…


母が「不幸だけど耐える私」という存在でいると

小さな子どもが被害被るんだよなあ…




なんて当時の気持ちを感じて

げんなりしたりしますよ。

(子供の頃の家族は完全な「機能不全家族」でした)



でも

これは昔苦しんだパターンだな、というのが

わかっているので


昔とは違う行動をとったり


違う感情に自分を導いたりして


自分を苦しめない選択を

ひとつひとつ選ぶことができます。





心の安全地帯の風景

過去の家庭環境

親子関係がどうであっても


そこで得たものは生かし

そうでないものは手放しながら


自分の心身を育み直すような

慈愛の気持ちで

自分の人生を構築し直す。



それは

インナーチャイルドの癒しの

目的地でもあります。



その過程には

今現在の親とどういう関係であるかは

さほど重要ではないと感じています。



大切なことは

あなたが自分の人生を

幸せに生きること。



そのお手伝いができたら幸いです。




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