abuse「乱用」に気が付くこと
「abuse(アビューズ)」という言葉があります。
「チャイルド・アビューズ」という表現が日本語で「児童虐待」と訳されているので
聴いたことがある方も多いかもしれませんが
単語本来の意味は「乱用」とか「間違った使い方」ということなのだそうです。
私がこのことを知ったのはかなり昔
西澤哲先生の『子どものトラウマ』という本を読んだことがきっかけでしたが
この「abuse(乱用)」という表現は人の心や関係を考える場合にとても理解しやすい単語だなあと思っています。
いわゆる「虐待」というと
かなり「ひどいこと」
「目に見えて暴力的なこと」で
「そんなひどいことを私はしないし、されてもいない」と思う方もいそうですが
「乱用」となると意外に、普通の大人同士でもあるんじゃないかな?と思うのです。
人が、人を「乱用する」ってどういう場合なんでしょうね。
たとえば、心の満たされない部分(不安やさみしさや怒りなど)を
相手がとても嫌な気分になる形で満たしてもらおうとすること。
これって、相手を自分のいいように「使っている」ことになると私は思うのです。
今よく聞かれる
「ハラスメント」
「マウンティング」
「(極度の)かまってちゃん」
なんかも、こういうことなのではないでしょうか。
相手を見下したり、相手に注視してもらわないと自分を保っていられない心の不安定さを
相手に不当にぶつけて、
相手からエネルギーをもらって満たしてもらおうとしているという意味で
「使って」います。
本来なら、大人であればそれはなるべく自分で保つ努力をするものです。
これ自体が「ダメなことだ!」とジャッジしたいのではないのです。
お互い許しあう仲であったり
合意の上(そういう交流自体を楽しむ関係もあります)であったりすれば
問題にならないこともあります。
ですが、これによってどちらか片方になんだか
「使われた」感があって非常に疲れたり
もやっとしたものが心に残り続けたり
ストレスがたまるような心情になってしまうと
それは自分を振り返ってみたほうがいいなあと私は思うのです。
いわゆる「虐待」を受けた場合
心に残される跡の大きさはよく知られるようになりました。
でも、比較的軽く「乱用」されても嫌な気分は残ります。
そして、その「乱用」が長年にわたって少しずつ積もったりすれば
跡はかなり色濃く残って、なんだかよくわからないままにイライラしたり
すぐカッとなったり、
不調が起こってしまったりすることもあります。
それは「乱用されて、嫌なんだよ!」
「こんなに嫌な思いをしているのに気づいてよ!」
「なんとかしてよ!」
という「あなた自身」への「心」からの訴えなのかもしれません。
そして、「乱用」するほうも
「なんだかしらないけど相手に嫌われ離れて行ってしまう」ことになると
自分に優しい生き方とは言えないですよね
(それでもかまわないという人は、いいのです)。
抜け出すためには、まずは気が付くのが大事です。
「乱用」を抜け出して
「依頼」しあったり「尊重」しあったりするほうが
心地よい関係だと思うのです。
これも好き好きなのでしょうが、私はそういう関係を好みます。
なので
私自身も
自分に気づき、自分を満たし続けることを
日々気を付けています。