Aarteeniのブログ · インナーチャイルド

「自立」と「依存」の対人関係

自立と依存の痛みの話、続きです。

 

前回と前々回はこちら↓

しっかり者さんの依存の痛み 

優しい平和主義さんの自立の痛み

 

 

誰の心にもある、自立と依存の心。

 

ひと口に自立と依存といっても

いろんな解釈や見方、側面があります。

共通するのは、

どちらが良い・悪いというものはない、ということ。

 

でもそれぞれが行きすぎたり、

裏目に出たりすると

人間関係でちょっとした「困りごと」が

起きがちかもしれません。

 

前々回で、

夫に対してイライラしていた、と

書いたのはまさにそれ。

 

もし、そのイライラをそのまま

感情のせてぶつけたとしたら

たいていトラブルに発展します。

 

 

・・・はい、結婚当初よくそうなってました(ごめんなさい)

 

 

そうなんですね、

自立の心がとても行きすぎて

それが裏目に出る場合

 

「自分(だけ)が正しい」

「だから相手がしたがうべき(コントロール)」

「ポジティブ(だけ)が良いこと」

「感情をおろそかにしがち」

 

…という

なんだか息苦しいことになってしまうんですよね~。

 

 

そしてそれに対する相手

特に身近な

パートナーや子どもや親などの親しい相手は

 

同じ自立の心が多いタイプなら主導権争いになり

 

依存の心が多い相手なら

心身を護るために表面では従うか、

あるいは心理的に逃避し、

そして

 

信頼関係はズタズタ

愛情も枯渇

もう一緒にいるのつらい

実際、距離を置く。

 

みたいになる可能性もあるかもしれません。

 

 

一方、

依存の心が裏目に出るとどうなるか。

 

「被害者の立場を取りやすく」

「気持ちに振り回されやすく」

「自分なんか、と自己卑下・自責」したり

「悲観しがち」

になったります。

 

 

これもわたし、身に覚えがあります。

 

 

ちょうどうつ病からの社会復帰の時。

 

バイトを探すも

「自分なんかにできる仕事なんて全然ない」

と悲観的になり

社会が厳しくて怖いものに思えて仕方なく、

 

運よくバイトに受かっても

「絶対できない、やっぱり無理」

と思って

半泣きで辞退の電話をかけたりしました

(本当にご迷惑をおかけしました…)。

 

 

あの時は

「社会からドロップアウトした自分」

「そんな自分は不甲斐ない」

と内心自責していました。 

 

厳しく自責しすぎて

周りのキラキラした活躍している人を

見るのが辛かった。

比較してまた自分を責めてしまうのに

耐えられなかったから。

 

しかも当時

家庭で問題も頻発していたので

「夫のせいでわたしは苦労してる」

と被害者的になり、

 

同じ家にいながら夫のことを

「わたしを苦しめる敵」

みたいに感じていました。

(あくまで心的事実で、実際は違ってました、念のため。)

 

ひとりで問題を抱えているようで孤独で

生きるのすら前途多難に見えてました。

 

 

 

ちなみに今は

あまたの危機を超えた末とても良い関係です。

一緒にいて平和で楽しい。

しみじみ、一緒にいられてありがたいねえ、と

よく話してます。

 

 

でも当時きっと、

夫はそんな風に長々と不安にのまれ続けていた私に

「心配事じゃなくて可能性をみなよ」

等々と思っていたと思います。

実際言われたこともあります。

 

わたしが前々回の投稿

「しっかりしてよ!」と

イライライライラ思っていたのと同じように。

(よく、一緒にいてくれたなあ)

 

 

そうなんです、

自立と依存は誰の心にもあり

どちらかが一方をとると

バランス的に相手は

その逆の立ち位置を取ってしまいやすい。

 

ちょうどシーソーのように

強烈に自立の端っこに行きすぎると

相手は依存の端・裏目に立ちがちになり

強烈に依存の端っこを取られると

反対の自立の端で裏目に向かいがちになる。

 

 

 

前回

「これが正しい」を押し付ける親と

立ち止まらざるを得なくなる子どもの関係も、

 

「自立の裏目」

の立場を親がとってしまったため、

子どもはその逆に立たざるをえなかった…

 

そう解釈することもできます。

 

 

当然ながら、

これは一つのものの見方で

すべての人間関係に当てはまるものではないですし

正しさを押し付ける行為を

擁護するものではありません。

 

押し付けられるのは、わたしも嫌です。

 

 

でもひとつの心の理解のために書くとしたら

 

もしかしたら、

「これが正しい」を押し付ける親は

自分ひとりでどうにかしてきた

「しっかり者さん」の

行き過ぎた裏目の姿かもしれません。

 

不安な環境を生き抜くために

自分なりの正しい道を突き進まざるをえなく、

そんな自分の、

不安が根っこにある「自分の正しさ」を子どもに与え

安心したいためにコントロールし

 

その結果

子どもの

「不安や恐れで立ちすくむ気持ち」

を形成してしまった。

 

 

そしてさらに、

その子どもが

その痛みをもったまま大人になるとすると

 

今度はそのまた子どもやパートナーに対し

自らの「行きすぎた依存心」がうっかり出て

 

「ネガティブ全開」

「私は被害者」

というスタンスでずっといたりすると

相手は不安や恐れを抱きながらも

バランスをとるために

必死に自立に向かうしかなくなり

 

そしてまたその子やパートナーは

誰かに向けて

「不安の中保ってきた自分の正しさ」を押し付ける。

 

不安は、解消されないままに…

 

 

 

エンドレス!

 

 

この途中で、

つらすぎてどちらかが

そのバランスの取り合いから降りる、

というケースも当然ありますが

こうして延々と繰り返してしまうケースも

あるんですね。

 

 

極端に走るどちらも、

生きる上での不安や恐れが発端。

 

このままでは生きていけない、

このままでは愛されない、

無力で、間違った、何か足りない自分…

 

そんな不安や恐れがもし、

行きすぎた自立の心と依存の心をつくり

もしそれがもとで

本当は仲良くやって行きたい人と

上手くバランスがとれず苦しいのなら

 

どこかでこの流れを

変えてみるのもいいかもしれません。

 

 

流れを変えるには、

自分の中の不安や恐れの気持ちに向き合うのが

ひとつ、

そして癒したうえで

自分に痛みの残っているところ

自分と逆側の要素を許可することです。

 

自立傾向の人は

自分のネガティブな本音やがんばりの限界を認めたり

依存傾向の人は

心からやりたい事や望みを自分に許していったり。

 

すると

自分を受け入れた分

相手も受け入れることができ

お互いの理解もすすみ

 

時には自立・時には依存と

移動が自由な

相互依存ゾーンにラクに入れるようになるんですね。

 

シーソーの端と端で

極端にバランスを取っていたような関係が

中心に向かい緩やかになるような感じです。

 

 

ちょうど、いま

 

不安や恐怖にフォーカスしやすい時期ですよね。

 

この時期、

からだを気遣うのと同じように

 

自分の不安や恐れって、

どんなものがあるのかな、と向き合ってみるのも

いいかもしれませんね。

 

 

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