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  • 執筆者の写真Aarteeni

「お母さん、苦労してたな」から湧くいろいろを癒す(罪悪感・無価値観)

子どもの頃、


お母さんがあんまり幸せそうにみえなかった


お母さんがとても苦労してた 


お母さんを、助けなくっちゃと思っていた



そんな人、結構いますよね。




はい、わたしもそうです。 




うちの母は、


父が病気で結構大変だったにもかかわらず


泣いている姿を子どもに見せなかった、


とても気丈な人。



そうして子どもに心配をかけまいとしていたんだと思いますが  



それでも、


というか


だからこそか、




(お母さんは大変なんだから)



(私は私でしっかりして自立しないといけない)



(そして負担や迷惑をかけず、助けないといけない)



と無意識に思っていました。




はっきりと言語化できていたわけでもなく


ぼんやりと


その思いにのっとった行動をしていた、


という感じです。




無意識の行動規範になっていたんですよね。




これ、別に悪いことじゃあありません。


そういう方、結構たくさんいらっしゃいます。 




でも、この思いが極端になりすぎて


本来の自分らしさを閉じ込めがちになったり


自分の幸せをスムーズに感じられなくなったり


なにかしら支障が出るようなら、



「見直すのも、あり」



ですね。








結構、よくうかがうお話かもしれません。



子どものころ


なんとなく幸せそうじゃないお母さんの姿を見ているうちに



「お母さんより幸せになってはいけない」 


「お母さんと同じ苦しみを味わうべき」 


「弱みを見せず、強く生きなきゃ」


「お母さんを笑わせてあげなきゃ」


「期待通りに生きて、心配かけないようにしなきゃ」


「助けて、守ってあげなきゃ」 




なんていう、


「自分を駆り立てるような規範(ドライバーともいいます)」


を持ってしまう、そんなこと。





私はですねー



自分自身の子どもの頃の問題を癒す、


というと


もう全面的に


「病気の父に関すること」


だと思っていたので、



母への思いと自分の思い込みの関係、


しばらくまったくノーマークでした。



最後の最後に出てきた母との関係。



いわば自己受容のラスボスです。


(いや、まだあるかもしれませんけど)




えー!


お母さんとの間には、なんにもなかったけど!


関係も悪くないけど!!



って思ってた。




関係、一時は悪くなったこともあるけど


今はいい感じです。


一緒に旅行とか行くし。




でもですね、


だからこそ



「助けたかった」


「ラクにしてあげたかった」


「でもできなかった」


「それは、わたしが弱かったからだ」



という


子どもならではの思考回路ゆえの思いが


「罪悪感」


の根もとのひとつに、


残っていたんですよね。




私の話にかぎらず


本当は、


子どもがどうであるかと


お母さんが不幸な(に見える)こととは


直結するものではない


かもしれません。



本当の意味では


大人のその人の幸不幸は、


その人にしかどうにかできないから。




でもそこを


自分のせいだ


としてしまう



自分が弱いから、


出来が悪いから、


可愛くないから、


病気がちだから…等々



ということに


してしまいがちなんですよね、


子どもの思考回路は。



とくに、感受性が強くて、


お母さんの気持ちがよくわかってしまうような


子ども時代を過ごした方は。



だから、


それをくつがえすために



過剰にしっかり者でいようとしたり


勉強や仕事を頑張ったり


笑わせ・笑われキャラになったり


わざとできない子になったり


言う事を聴かななきゃ


逆に、自由でいなきゃ


可愛く明るく元気でいなきゃ・・・



って


「駆り立てるもの」を持って


それにのっとった行動をしてしまう。




子どもって、けなげですね(わたしも含めて!) 





そこが癒された時の恩恵は、


私は大きかったですよ。



私の場合は、


潜在意識下のセラピーで


「お母さん、力になれなくてごめんね」って


口に出して言えたあと、


なんともいえず


許されたような気持ちになりました。



自分が、


自分の思いや弱さを認めたからです。


(もちろん、実際に直接言ったっていいと思います)



そして、


その罪悪感が薄くなって力みが消えたのか



「あれ?


守られ、助けられていたのは、


完全にわたしのほうだったじゃん!!」



「弱く情けない自分でも、愛されてたじゃん!!」



っていう事実を、


ようやく


ようやく


ようやく、


ストーーーーーンと腑にとすことが


できたんですねー。




そしてそれがわかると、


夫からも沢山の愛をもらっていることに


日々、より細かく気づけるようになり。



夫婦関係がそれ以前より大変よくなりました。


(親との未消化の気持ちを、


夫婦関係で再現するの、ありがちですね。)



同時に


他の人や周りからの愛にも改めて気づき、



もう、


ありがたくて。


感謝の気持ちで満たされました。




罪悪感が強すぎて、


しっかり者でいたくって、


だから弱い自分を認めたくなくて、


それゆえに愛に気づけず受け取れていなかったって。




どんだけあほな自作自演


ってつくづく思いましたよ。 




そしてね、


罪悪感が癒えると


自分に向ける無意識のバッシングが減るので


身近な家族へのバッシングしたい欲


(いらいらする気持ち、腹の立つ思い)も、


減る方向に向かいました。


それも、恩恵のひとつです。 




まあ、当然ゼロにはなりませんけどね!笑 







実際の今の母は、


愚痴もよくいいますけど、


だからって不幸そうでは、ありません。 



かわいそうな人生を歩んでいた力のない人として


どこか見ていたのかも、と思うと


失礼だったな、と反省します。


本当は、ダメで情けない私にも


愛いっぱいくれてたのに。



過剰な罪悪感が薄まったおかげで


心理的な距離もより良い感じになりました。



元気そうで、


母の愛も感じられて、


しみじみありがたいです。





子どもの頃のお母さんへの思いって  


とても強く心に残っていることもありますね。


今を幸せにするヒントもたくさんあるな、


と思います。



良好な関係の方も、いまいちな関係の方も


ちょっとなんか気になるなという方は、


振り返るのもおすすめですよ。




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