Aarteeniのブログ · セラピー

「思いグセ」の世界から、自由な世界へ

10代の頃からずっと吉本ばななさんが好きです。

メルマガも購読しているんですが

最近の内容の一つが

 

「思いグセ」と「それを叶えてくれる役者」

が登場するものだったので

 

「ああ、そういうことって、あるあるだよなあ」

と思いながら読みました。

 

興味ある方は

note「どくだみちゃんとふしばな」へどうぞ! (有料です!)

 

 

「思いグセ」って、大なり小なり

たぶん誰にでもあるものです。

 

 

「いつも嫌な上司・部下が登場する」

「いつも私ばかり我慢してる」

「いつも誰かが困ってるから助けてあげなきゃ」

「私はそもそもダメ・できない」

「誰にも理解されない、わかってくれない」

・・・等々、

 

文字にしてみると

そんなバカなと思うようなことでも

意外とうっすら無意識に考えていたりすることも。

 

 

 

わたしもまだ、たまに出てきますよ!

 

 

疲れている時、

「あ~ごはん作るのしんどいなあ…」

と思いながらしぶしぶ料理して、

 

さらに夫に協力を頼んでも

たまたま断られたりすると

 

 

 

「なんだよ、

わたしだって疲れてるのに💢」

「いつもわたしばっかり」

という「思いグセ」が簡単に発動すること。

 

 

 

これ、

ある側面では事実かもしれませんが

また別の側面では

 

ただ

「昔なじみの、

傷ついた経験からできた思考回路を

たどっちゃった」

「そしてその思考回路による世界観を

叶える役者(夫)が登場した」

 

だけのことだったりします。

(いつもは普通にやってくれるので)

 

 

「昔なじみの思考回路」って

一定期間繰り返しなぞって

その人の世界を構築してきたものですから

 

「自宅への道を地図で確認しなくても帰れる」

くらいの自動モードっぷりで

スルスルと出てきてしまうんですよねー。

 

特に疲れている時!

 

 

そして、不思議と

(本当は不思議ではないんですが)

「それを叶えてくれる役者」が登場するので

 

「ほうら、

やっぱりまた

昔なじみのあの世界だよね」

とさらに確認し納得してしまい、

 

「しんどい世界」の証拠が

またひとつできあがり!

 

証拠がこんなにあるってことは、真実に違いないよ!

 

 

というしんどい世界スパイラルに

入っていくわけですねー。

 

 

あやうくまた

「わたしばっかり大変なしんどい世界」

をふたたび、

いえ100たびくらい懲りずに

再建しようとしたわたしも

 

もうさすがに

 

「いやいやまてまて、

わたしは今疲れているのだから、

まずはカフェオレでも淹れて休もうじゃないか」

ひとり分の美味しいカフェオレ

淹れてソファで休み

 

「今日もわたし、よくやったよね~」と

自分をいたわりつつ

お気に入りのインテリアなど眺めます。

 

すると心も身体も少しご機嫌になり

 

「夫が断ったように、

わたしもあんな風に

今日は無理と言っていいんだよなあ

と夫の言い分に

妙に感心できたりする余裕がうまれ

 

そうこうしているうちに

 

「でもやっぱり今日、あれ食べたいなあ」

「わたしが食べたいから、作るか」と

 

しんどい思考から引き返して

再び料理をする気になる…という

わたしの心や身体にとって無理のない流れに

なんとなくなったりしました。

 

 

出来事としては

「わたしがひとりで料理をした」

ということにかわりないのですが

 

自分に優しくして休んだり、

いたわったり

手抜きをしたりすることで

 

「わたしばっかり💢」

 

の世界では、もはや

なくなっていったのですね。

 

 

なじみだというだけで、

当然そういう世界が好きってわけではなく

わたしは心地よく過ごしたいので

一件落着です。

 

(これ、たまたまその時はこうなりましたが

「外食する」とか

「ふたりとも料理しないで寝る」とかいう

着地点だってあったと思います!

しんどい世界から、

その時最大限心地よい世界に

移行できたことが大切かな、と。)

 

 

 

クセに気づいて

なじみの思考回路で創られた

ロールプレイングゲームみたいなのを抜け出すと

心も身体も楽な

新しい世界に移行することもできるんですが

 

 

なかなかそう簡単にできないよ、

という方も多いはず。

 

 

わたしも以前はそうでした。

 

 

なんででしょう。

 

 

思いグセは潜在意識深くにあるから、

というのも理由のひとつでしょうし

 

なじみという事は

何度も何度も

その思考クセを繰り返し使っているということで

同じく何度も何度も

嫌な気持ちを味わっている

可能性が高いから、

ということもあると思います。

 

 

今ここで感じた感情エネルギーが

「1」だったとしても

それに便乗して

昇華できずに積み重なってきた過去の分のエネルギーまで

一緒に外に出ようとしてしまうので

「10」くらいに

感じてしまうこともあるのです。

 

 

日常でひとりで受け止める量としては

あまりにも大きいですよね!

 

 

その大きいエネルギーを受け止めたり

あるいはまた再び抑圧するのは

それ相応な、同等のエネルギーがいりますから

 

「こう考えればいいんじゃない」という

軽めの「思考のエネルギー」で

それをどうにかしようとしても

到底かなわなかったり

 

新しいアイデア・自分にとっていい考えが

浮かぶ余裕も

持てないからじゃないかな、と

わたしは感じます。

 

 

 

もしあたまで考えても

気持ちがついていかないし

新しい考えも思いつかない・考えたくないなら、

積み重なっている気持ちの

「言い分」を聴いてあげるといいですね。

 

 

思いグセが最初にできた時の気持ち

何層にも積み重ねてきてしまった気持ちを

感じて、

あたまではなく心で理解すると

思考の言い分を聴き入れたり

自分にとって良い方法が思いつく

スペースが生まれてきます。

 

 

スペースがないままに、

力技で思考の言い分を聴かせようとするのは

自分に対するコントロールみたいなもの。

 

 

コントロールされるのって、

誰でも嫌じゃないですかね。

 

 

嫌なことには、抵抗がうまれやすいので

「あたまではわかるけど、できない」

「新しい事考えるより、今この気持ちを聴いてよ!」

となってしまう。

 

だとしたら

言い分を先に聴くのが早いんですね。

 

 

そして

「思いグセ」が誰にでもあるように

「それを叶えるための役者」にも

誰でもなりえます。

 

気づかずに、自分がなっていることも。

 

 

ちょっと長くなるのでつづきはまた後日。