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  • 執筆者の写真Aarteeni

気持ちを感じ直すと自己受容ができる~私のインナーチャイルドセラピー体験(3)

自分のインナーチャイルドセラピー体験の続きです。




たくさんの自分の受けたセラピーを思い返してみると


総じて


「抑圧していた感情を感じ直して、出来事をとらえ直した」


体験でした。



怒りや哀しみや


言いたくても言えなかったことを


ひとつひとつ、拾い集めて自分に統合していったような感じ。



そして、「感じ直すと何が起こるか」


ということも身を持って理解した体験です。



実際、感じ直すと何が起こるのか、


それは本当のところは人により様々なのかもしれません。



けれど、多くの人も起こりうることで


私の場合も受けた大きな恩恵は


「自己受容が(ある程度)できた」ということ。



「自己受容」。



ありのままの自分を受け入れるというやつですね。


近年いろんなところで言われますよね。



感じ直すと、当然


「自分はこう思っている(いた)」と、


あたまでなく身体全体でありありとわかります。


否定しようもなく腑に落ちます。



そして大切な場面に退行したりすると


「こんな気持ちになるのは仕方ないな」


「いま、こんな思い込みを持っているのにも理由があったんだな」


「その頃の自分として精一杯よくやったよな」


「結構自分、頑張ったんだな」


と自然と思えることが多いのです。



それは


現在の成長した自分から過去を振り返るからかもしれないし


十分気持ちを感じると、だいたい次の心の段階に進むから


という理由もあるでしょう。



気持ちや思考の受容ができると、自己肯定感も得やすくなります。



「自分、OK」という感覚です。



「OK」は、「GOOD」とは違います。



結果「GOOD」になる時ももちろんありますが


「自分スゴイ☆」という感覚より



「私なりによくやってきたなあ」


「自分としてはよくやってるなあ」


と慈しむ感じに似てるかもしれないです。



そして自分を慈しむことができると


無理なく


自分の心や身体にとって適切な選択をしやすくなるので


色々と流れがスムーズになったり楽になったりします。


私はなりました。







さて、体験の話ですが


私には子どもの頃


鮮明に覚えてもいて、


そしてそれがショックだったし


何度か口に出したこともあるけど、


「でもそれほど大したことでもない」 と思っていた


暴力的な記憶がありました。



今なら虐待と定義される出来事です(虐待の定義って時代で変わっていくのです)。



それが重要であると感じてはいたものの


でもそんなに大きな傷でもない


と、あたまで過小評価をしていたことがあったのですね。


これも自分のこころを守るための無意識の働きです。



でも、強烈にこころに残っていたのは


「恐怖」と「怒り」と「無力感」。



何度かセラピーやワークを受けて、


受け止めるこころの準備もできていたのでしょう。


その記憶に意図せず潜っていきました。



その場面でどうしたいかをセラピストに尋ねられ


私は大人の自分を呼び出しました。


そうすると大人の自分からみた子どもの私は


その場面で


子どもながらに本当に精一杯のことをしていたのです。



自分の記憶としては


ただ怖くて


嫌悪感でいっぱいで


子どもの非力さを屈辱的に味わうだけだった


その場面が



「あ、わたしこの時、えらかったんだなあ」


「勇気があったなあ」



という印象に変わったんです。



潜在意識下で味わった、その感覚は強烈で


現在も私のその記憶は


出来事はそのままなのに


印象は



「ただ哀しく暗い出来事」


というエピソードから


「勇気のあったわたし」という物語へ


上書きされています。



自分の人生の物語が変わったことで、


自分に対する感覚も肯定的なものに変化しました。



自己肯定感が、より増したのです。



これは、もちろんサポートがあったからこそなのですが


自分の内側から湧き上がる自然な感覚です。


外側に何かを身に着けたり


頑張って「自分はよくやったと思おう!」と努力するものとは


また違うものです。



そして、このセラピーを一つの区切りとして


徐々にセラピーをさせていただく側に


立ち位置を変化させました。



(もちろん、終わりはないので


今でも必要があればセラピーやカウンセリングを受け続けてます。


自分が癒されていることがベースとして必要だと思う方なので。)



(そして、付け加えますが


こういった暴力的な記憶を癒す方法はいろいろあるので


自分に合うのを見つけるといいと思います。)



*****



生きていく中で、特に子ども時代は


誰でも傷を負います。


子どもが転んでけがをするのが普通であるように、誰でもです。



でも、その時の年齢や


周りのサポートの有無や


受け手(自分)の特性


転んだ先が芝生だったのかガラスの破片だらけだったのか


のような様々な要因のかけあわせで


大人になっても痛みが残っているケースもあります。



それ自体が問題なのではありませんが


「痛みが残っていて歩きづらい」と感じるのであれば


自分の内側から湧き上がる力で


歩きやすくすることができる。


歩きやすくなれば、好きな所にも行けるかもしれない。


好きな所に行けるのは自由だよ。



と「歩きづらさ」を感じている人に伝えたい気持ちです。



私は自由に生きたいと思うほうなので


この先も思いこみや自分の気持ちに気づき続けます。



そして「私もそうしたい」と思う方と一緒に


こころを見つめ続けていきたいと思っています。



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