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  • 執筆者の写真Aarteeni

ネガティブな気持ちを感じるのは嫌ですか?~私のインナーチャイルドセラピー体験(2)

陰陽の大極図です。





陰陽五行論や東洋医学等の分野でよく見るこの図


心理分野でも扱われることがあります。


(ユングは東洋の思想の研究もしていたそうですしね)



私はこの図、結構好きなんですよね~。



人の心もこのひとつの〇だとすると


陰(黒)も陽(白)も含んで完成しているものなんだ


陰の中に陽要素もあり、またその逆もあり…等と


視覚的に感じられるから。




ヒプノセラピー(およびインナーチャイルドセラピー)では


過去に感じていたけれど奥深くにしまってしまった気持ちを


感じたいと思えば


感じることが可能です。



なんで奥深くになんか感情をしまうのか、というと


「それを感じると自分が生きるために不利だ」と


自分がその時判断したから。



愛情を得られないかもしれない と思ったとか


辛すぎて受け止めきれなかった とか


理由はいろいろあるでしょう。



でも、


実際そう感じた事実は残っている場合もあり


「ないことにしよう」と


蓋を閉め続けるエネルギーで


疲れてしまうこともあります。



自分の、上の図でいう「〇」の一部を


消しているようなものなので


「なんとなく自分らしく生きていない感じ」がするかもしれません。



わかってほしいサインが外側の世界に現れることも。



そんな場合は感じて解放してしまったほうが


自分にとっても周りにとってもいいと思うのですが



「封印した気持ちを口に出して言う」って


結構勇気もいるし


抵抗ある人もいらっしゃいますよね。



前回の続きになりますが、


私は自分が受けたセラピーで


過去に感じたいわゆる「ネガティブ」な感情を


何回も感じ口に出してきました。



それは


「あの時わたし、つらかったんですよね」と


大人の私が回想しながら話すというより


その当時の自分になって感じるようなイメージでした


(これも人それぞれなので何が正解とかはありません)。



「今、ここ」で


私のつらさを感じるので


普段大人の意識で生活している場面では


なかなか口にできないことも口に出してしまいます。



子どもの姿でそこに存在する自分の気持ちを感じながら 


気持ちのエネルギーを乗せてしゃべります。



「もう全部いやだ!!」


「こんな家に生まれたくなかった!!!」


「どんなに辛かったか、わかってんのぉ!!!!」


みたいな。



もう完全に子どもの言い分を


泣き怒りしながらしゃべるわけです。


大人の私が。



頭の片隅で


「わあーーーこんなこと言っちゃってる…」と思いながら。



なんのためにこんなことをしているか


というと


「私のこころを統合するため」


「自分をありのまま受容するため」 


です。


上の図でいえばちゃんと「〇」を取り戻すためです。



「こんなに大変だった被害者の自分」


を表明しているわけではなく



その時の感情を感じきることで


その時代のことや


その時代の自分の気持ちをまるごと受け止め


自分らしい「〇」の魂として


その先どう在りたいか を主体的に選び直すためです。



逆説的ですが


その目的があるからこそ


いっとき存分に 


相手のせいにしたり


いわゆる「ネガティブ」な感情を感じ


口に出すことができるのかもしれません。




大人の私たちは


ありのままに感じきる前に、


思考で


「でも あの時みんな大変だったんだから」


「誰が悪いわけじゃないんだし」


「結果的にあれがあったおかげで、自分が成長できた」


というような考え方を取り入れて気持ちをおさめがちです。



それも良い認知の仕方でしょう。


でも、「感情がついていかない」場合は?



「頭ではわかってるけど、気持ちはついていかない」


という場合


気持ちは納得していません。


話を聴いてもらう前に


頭ごなしに言い聞かされているようなものだから。



誰に?自分にです。



そんな時は思考レベルではなく


感情レベルで


過去の自分を分かってあげたほうが


気持ちは納得しやすいと


私は思います。




そうはいっても


「こんな家に生まれなければ…」


「お父さん(お母さん)が嫌だ」


みたいに


「家」「親」「祖先」等を


本気で否定した自分の一部を感じるのは


少し難しいと感じる方もいます。



子どもの頃は


自分が毎日暮らす家や


自分のルーツである人


愛の対象である人を否定すると


自分の存在まで否定しているような感覚になってしまい


今も痛みを伴うからかもしれません。



痛いのならば、無理をする必要は全然ありません。


こころにも段階がありますから。



でも、大人の今なら


「こんな気持ちを持っていることと、自分の存在を否定することは別」


「否定的な気持ちを持っていることと、感謝している部分は共存している」


「いろんな気持ちを持つ自分でOK」


と理解することはできます。



もしこころの準備ができていて


その大人の理解力を味方にできたら


「もう封印しなくてもいい」と


存分に過去の気持ちを感じられるケースもあります。



それに、不思議なことに


存分に感じると


気持ちが「もういいや」と納得し


余裕ができるためか



否定していた相手への理解がより深まったり


自然と感謝の気持ちが湧いたり


次の段階に進むこともよくあります。



少なくとも私はそうでした。


(そういう在り方を選択したいと思っていたからかもしれませんが)



詰まっていたものがさらさら流れていくように


頑張らなくても自然にそうなるのです。



もちろん、


当然ながら


ならないケースもありますよ。それも全然OKです。



事情はみんな違います。


許せない事情が存在するのもまた真実です。


許せない気持ちを持ったまま、


自分はどう生きたいかを選択するだけでいいんです。



目的は、あくまで


「自分を受け入れて、自分が幸せに生きるため」。


自分のためが、結果相手のためにもなるのですが


手始めは自分です。




自分のためにいっとき、


この「〇」の黒いところを明るみにすること


それは、


自分のこころをまるごと大切にすることです。


そうした時、


その自分のこころや魂の


丸さ、大きさ、尊さをより一層感じられ


主体的に幸せを選んでいけるのかもしれない。


そんな風に感じています。

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