同年代の友人と話していると
家庭や職場などでイライラしてしまう、といった話題が出る時がたまにあります。
子育て中の人は子どもに、職場で上司や部下に、家で配偶者に親に。
「もう腹が立って腹がたってー!(笑)」
と笑い話程度ならいいですが
「イライラしてしまって辛い…」となると
なんだかしんどそう。
私もそういう時あるので、いやーわかるわーと深く頷いてしまいます。
一方で
イライラする(腹が立つ、怒っている)から「つらい」というのは
単純な気持ちの構造ではなさそうだなあ、と思ったりもします。
なにかある→(それが自分にとって都合のわるいことと認識)→怒る、イライラする
というのが気持ちの単純な構造だとしたら
「イライラ」のあとに「辛い」がくるとなると、上記のあとにもうひと段階あるはずだと思うんです。
イライラ→「イライラは我慢して抑えないといけない」と思う→つらい
とか
イライラ→うまく表現できず関係が悪化する→「自分は嫌われものだ」と感じてしまう→つらい
とか、
イライラ→今目の前のことだけじゃなくて昔の怒りも思い出して増幅→どこから対処していいかわからない→つらい
などなど・・・
いろいろ人によってパターンはありそうですが、こういう感じ。
何か出来事があって、それを認識して「イライラ」し
そこからさらに「つらい」と感じるまでの間に
どんなことを考え感じているのかを思いめぐらせてみると
自分の考え方(ビリーフ、信条、思いこみなど)のくせや溜めてしまった気持ちが
見えることがあるかもしれないです。
それはそのまま持っていてもいいし
変えたかったら変えてもいいと思います。
変える方法は結構たくさんありますし
気付くだけ、書き出して意識するだけでも変わることもあります。
でも
どうしてその思い込みや考え
(たとえば怒りを抑えないといけない、とか、自分は嫌われもの、などなど)を
持つことになったのか
を感じるのも、自分を楽にさせるためにはとてもいいと思います。
インナーチャイルドセラピーを行うと
このあたりのことに焦点があたっていく場合が多いのですが
その思い込みを持つにいたった経緯というのが
必ずあるのです。
たとえば幼い頃、
誰か(親や先生など)を相手に傷つき
「自分が悪いからこうなったんだ」
「怒ると悪いことが起こる(だから抑えよう)」と解釈し
それを世界の常識のような
絶対的信条のようなものに感じて大事に持ち続けてしまう。
そしてそれを大人になっても当然のように使用してしまうことで
大人の今
イライラ→(大事に持っている信条)→つらい
になっていることも可能性としては考えられます。
子ども時代の思い込みは、幼いながらに考え抜いた貴重な信条で
その時代にはとても有効でした。
でも、今はもう必要のない場合もあります。
未だにそんな子供の信条を信じているなんて・・・と
自分が嫌になるかもしれません。
でもその考え方や信条ができたのにも
なんらかの、けなげな理由があるんです。
そしてその強固な信条は
頭で「もうやめよう」といくら思っても手放せないことだってあるんです。
そう自分のことを理解して
「ああ、こういうことでは仕方なかった」と受け入れていくことで
自分の気持ちが楽になり
その信条を自分でゆるやかに手放していくこと
そんなことも、自分がそうしたいと思う今なら可能なのです。
そうして自分のことをわかっていく過程
自分やそれをとりまく全体を理解していく過程
それはとても豊かで深淵な癒しの過程だと思います。
関連記事