又吉直樹さんの『火花』をようやく読みました。
天才肌の先輩芸人と、
才能はあるけれど非天才芸人である主人公の交流のお話です。
終盤、主人公が芸人生活をふりかえり思うところが印象に残ります。
以下引用
「必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう?一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれない挑戦することは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、俺は自分の人生を得たのだと思う。」
漫才の話だけど、漫才だけの話ではなく
漫才を通した人生の話ですね。
きっと何を通しても同じようなことが言えるんだろうと思います。
世間体や、もう自分の一部になってしまった誰かの価値観に縛られてしまって
本当に自分が思っていること、
感じていること、
やりたい事を直視するのは勇気がいります。
今までの自分とは違ったことをするのですから、
自分の世界がこわれてしまうような気持になる方もいるでしょう。
だけど、どこかでそうしたいという自分もいるからこそ、悩みが生まれることもあります。
職業や、
好きなことや、
自分の気持ち
自分を全力で追及するということはリスクがあって怖いことかもしれません。
けれど、自分の人生という大事なものを得るには必要なことなのでしょう。
そういえば、私は最近TBSドラマの『重版出来!』が大好きで、毎週欠かさず見ていますが
そこにも天才と(かなり優秀な)非天才が登場しています。
ひとりは漫画の道を突き進み、ひとりは区切りをつけて別の道に進みます。
非天才の沼田さんというベテランアシスタントさんは
天才に嫉妬しながらも
自分の漫画でその天才が感動してくれたことで
漫画に携わる人生に区切りをつけられたのかもしれないですね。
自分の人生を追及するということは
ある分野で成功するとかしないとかいう簡単な話ではなく
きちんと自分と向き合うということなのでしょう。
その結果選ぶ道は
どちらの人生も同じように素晴らしくて、いとおしく思えます。
関連記事
こちらもおすすめ:
- きっとすべてが最善に
- 『モアナと伝説の海』にみる、お役目と心の声に従うこと
- 変わりたいのに変われない時
- グリーフセラピー(悲嘆療法)で、亡き友と再会(1)
- 幸せにならない思いこみは、持ってなくてもいい