Aarteeniのブログ · 日々と心

矛先の根もとにあるものは

自分の感覚としては

めちゃめちゃ文字を書いてる5~6月!

と思ってたのですが

ブログ、放置状態でした。

 

なぜかありがたいことにメールカウンセリング

(とインナーチャイルドダイアローグ)

のお申込みが集中する時期だったのです。

(不思議なことに、

時期によってセラピーのテーマが似てるとか、

バーズが人気の月とかもあります…

 

この時期を通して気が付いたのが

メール、わたし結構好きかも…ということ。

 

昔から活字中毒気味ということもあり、

読むのも書くのも好き。

書くのは相当時間がかかるほうですが

お伝えたい事が話すよりスラスラでてくることもあります。

 

もちろん、対面セッションのほうが

コミュニケーションがとりやすいのは

事実なのですが。

メールもまた、ありがたいツールだと思ってます。

 

いろいろな痛ましい事件に

考えさせられたこの頃でもありました。

 

本当は何に、誰に怒っていて、

なにが寂しくて、不安で、

満たされないのか・・・

自分でも把握できていないと

まったく関係のない人や弱い立場の人に

矛先が

向かって行ってしまうこともありますよね。

 

こんなことを考える時

「abuse(アビューズ)」という言葉を思い出します。

 

日本語の「虐待」は、

これを訳したものだと言われています。

 

「ab-use」、正常とは異なるー用い方。

 

乱用です。

 

虐待という日本語からは、

ひどく蹴ったり殴ったりすることを

メージして

「abuseなんてひどいこと自分はしない」と

感じる方も多いと思うのですが

元々は

もっと広い意味の言葉で不適切な関係、などにも

使われる言葉だったらしいです。

 

 

人の「乱用」ってなんなんでしょう。

 

本当は自分でなんとかする感情の矛先を、

関係ない人にむけて発散させたりする。

 

自分の満たされなさを埋めるために

一方的に同意なく人を利用する。

 

自分の承認欲求や、怒りや、

寂しさや、不安、くやしさなどをぶつける、

はけ口として使う。

 

蹴ったり殴ったりはしないけど、

乱用というともう少し身近な感じ。

〇〇ハラスメントとか、マウンティングとか、

ネット上で誰かを匿名で攻撃したりとか。

 

こういう不適切な「使い方」が、「乱用」なんでしょうね。

使われた方は、なんだか嫌な、

エネルギーを搾取されたような不快な感じがすること。

 

他人(親子等であっても)を「使う」って表現すると、

なんかもう、

哀しいというか、やりきれなさがこみあげてきます。

 

道具じゃないんだから。

(いや、道具に敬意と愛情を持つ方もいっぱいいますね。)

 

 

でもですね。

 

じゃあわたしが、

一切そんなことしたことがないかっていうと

これが、悲しいことに

身に覚えがあるんですよね。

 

 

うつ病を患い、

仕事も失って、お金もなくて、

さらに家族まで次々病気で倒れてしまった10年くらい前のこと。

 

あの時はほんとうに申し訳ないけれど

心身共にまったく余裕を失って

不安や心細さを誰かに何とかしてほしくて

家族を「使って」いたなあ、と思います。

 

そして残念ながら、「使う」と「使われ」もします。

さかのぼれば、

子どもの時期に「使われていた」こともあります。

わたし自身のあたまが、

こころを尊重せずに乱用していた、という見方もできるかも。

 

今思えば、その悲しみを

昇華するための出来事だったのかもしれないですけど

もはや卵が先か鶏が先かはわかりません。

 

そこから抜けるためにいろいろやりましたが

自分のこころの中に何があるのかを見るしか

最後はもう道がなかったです。

 

そもそも、

うつ病になった時点で内面に向き合えって話ですけど。

わたしの場合は、

そこまで追い込まれないと気が付けなかったんですよね。

 

平和な今となっては全部、

家族全員にとって必要なプロセスだったと思いますが

正直、疲れ果ててもう二度と

ぜっっったいに繰り返したくないプロセス…

 

なので、今でも

こころの中で何が起きているのか

どんな感情が沈んでいて、今ザワザワしているのかなど

かなり気を付けて詳細に感じるようにしています。

 

それはセラピストとして相手を守るためでもあり

自分や家族のためでもあります。

 

 

話がそれましたが。

そう、つまり

人を自分の感情や欲求のはけ口にしてしまうことは

状況によって

育児や介護や看病や、仕事や学業や、その他いろんな場面で

特に、追いつめられて余裕がなくなれば

誰にでも起こり得ること。

 

だけど

やっぱりできればしたくないし、されたくもない。

とわたしは思います。

 

だからもう、そう感じる人から

こころの内側を見てケアしたり

休んだり、体調を整えたり、

環境を調整したりを

人の助けも借りつつ、

でも自分から

幸せな方向へ向けて、

やって行くしかないんだろうなあ…と思います。

 

使い使われの世界と

尊重しあう世界だったら

わたしは後者の方に住みたい。

 

自分のこころを見て、ケアし尊重するのが

その手はじめなんだろうなあと思います。