Aarteeniのブログ · セラピー

「真姿の池」を見て「真姿」を考える

国分寺にある、日本百名水の湧水に行ってきました。

 

水辺、いいですよね~。

私は川を見るのが本当に好きで、好きな所なら何時間でも見ていられます。

写真はもちろん、気に入った川は水の流れを動画に撮って

大事に保存しておき、疲れた時などに見ます。

 

「川フェチだね」と人に言われます。

 

 

否定はしません。

 

 

この湧水群には

「真姿の池」という美しい池があって

 

「平安時代、玉造小町という美女が皮膚病に侵されたが

この池で身を清めたところ元の美しい真の姿になった」

 

という古い言い伝えもありました。

 

病気を経て、清められ、玉造小町さんは真の姿になったんですね。

だから、「真姿」の池。

 

この「真姿」の伝説の説明として

「元の美女に戻った」と書いているものもありますが

ニュアンス的には多分

 

「病気以前」の美しい姿

というよりは

「真」の美しい姿

というものに近いのだろうと推測しました。

 

平安時代の言い伝えだけでなく、現代でもそういうことありますよね。

病気や辛い出来事などのプロセスを経て、真の姿に戻るようなこと。

 

 

病気は身体からのメッセージだと捉えるアプローチなどもたくさんあります。

ヒプノセラピーでもそういうアプローチをすることがあります。

 

病気や不調を

「今までの生き方を見直したほうがいいですよ」

「本来の自分らしい生きかたからずれてますよ」

というサインと考え

身体の声に耳を傾け

今までの考え方の癖や、無理をし過ぎていた自分を振り返る。

 

そうすることで

心身が癒えていき、本来的な自分の道に戻る

ということは実際にあり

その声を聴いてみたいから、とセラピーを受ける方もいらっしゃいます。

 

身体からのメッセージは賢く愛もあり

私はこの考え方やセラピーが好きです。

 

 

でも、その一方で。

 

 

病気や辛いことが起きたからって

それがすべて

「真の自分の姿ではなく、間違えた道にいた」

というわけではい、と思うんですよね。

 

病気もつらいこともないこと=「真」

間違いがないこと=「真」

じゃない気がしますし(人間界のお話です)。

 

だれでも自分の精一杯で人生を生きているので

それで途中で病気やハプニングが起きたとしても

 

それが「真」じゃない 

 

と言えるでしょうか?

 

辛い思いをしている今の自分は

「真」じゃないんでしょうか?

 

私はそうは思えないです。

 

なので こういった

「病気は身体からのサイン」という考え方を

自分を責める方向に捉え

「生き方を間違えてしまって、真の姿から離れるミスをした自分」

「病気の原因がわからないダメな自分」

みたいに

苦しく考えないでほしいなあと感じます。

 

もしかしたら、この世にくる前に

「そういう辛いことも「込み」で感情を経験したい」

「病気を通して〇〇ということに気がついて△△な人生を送りたい」

と決めて産まれて来ているのかもしれないし。

 

そうしたら「何が原因だったか」と突き詰めても

わからない かも しれないですよね。

 

つらい出来事を経験することでいろんな感情を味わって

自分の気持ちや望みや本質を悩みながら探ったり

気が付いて嬉しいなあと喜んだり

そういう自分を受け入れ日々幸せに生きることが大事なので

「過去のなにがダメだったんだ!」と自分を責めすぎて

どんどんつらくなってエネルギー低下してしまうのであれば 

 

心が求めるままに何かしたいことをしたり

本当はなにがしたいんだっけ?と思いめぐらせたり

もしこれが自分の人生からのいわゆる「呼びかけ」だとしたら

何だろうと考えたりしたほうが

 

お身体は楽になって

治癒力も上がるのかなあとも思います。

そうしてから、考えたいことを考えてもいいんじゃないかなあ。

 

 

真姿の池を見てなんだかいろんなことを考えました。

 

素晴らしい考えは素晴らしいと思う一方

違う側面や見方もできるということ

その人にとっての真実や、

その人の人生でやりたいことってなんなんだろうとか。

 

私もずっと学んでいきながら、迷いながら進んでいる感じです。

 

 

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