Aarteeniのブログ · 日々と心

グリーフセラピー(悲嘆療法)で、亡き友と再会(2)

(つづきです)

セラピーでは、セラピストの誘導で

どんどん自分の心の深いところへ降りていきます。

といっても意識がなくなるわけではなく

逆にクリアになるような、静かに心の奥底に沈んでいくような

そんな感覚で、ゆったりと寛いでいきます。

そのなかでM子さんに対面します。

対面した時は

あ、元気?久しぶり。

というごく普通に友人に会うような自然な気持ちでした。

会うということ自体にはそれほど感動はなく
あ、やっぱり来てくれた、くらいの感覚でした。

でも言えなかったことを言おう、謝ろうと思い

M子さんが辛い時、自分のことばかり考えてて
頼りにし過ぎちゃって
M子さんのことを大事にできずごめんね。
と言ったら

あ、全然いいよ!

とすごくあっさり言われました。

それだけ?

と思うくらい普通の返答で、拍子抜けするくらいでしたが

よく考えればあたりまえです。

亡くなったからっていきなり人格が変わったりしないんですね。

それから
入院中は姿を見られたくなくて誰にも会いたくなかった
最期に会えなかったけど、私のことを好きだったから
頼ってくれたのは嬉しかった
というニュアンスのことを言ってくれたので

でも頼りすぎたよね

と私が言ったら

まあねー、でもいいよ

とニヤっとしました。

言葉におこすと

「え?たったこれだけ?」という感じでしょうが

受けている私の感覚としては

M子さんの存在感と

温かく私を思ってくれている気持ちがぶわーと伝わってきて

ああ、私ちっさい、情けないと思いつつ
とてもありがたく

あらためてM子さんへの感謝の気持ちがわいてきていたのでした。

(そして時間も結構たっています)

言葉はたくさんなくても存在で満たされることもあるんですね。

私はこんな感じでしたが

亡くなった方から大事なメッセージなどを受け取る方も多いです。

それはとても素晴らしいことで、きっと今後のその方の指針になるだろうと思います。

でも、私のように

亡くなった人やペットにもう一度会えて

お互いを大事な存在だなあと思え

この生で会え、

短くても一緒に過ごす期間があって本当に良かったと

じんわり感じているだけで癒される方も同じくらい多いです。

大事だと思える人と、同じ時代に生きることができる喜び。

あと数年何かが違っていたら交差することもなかったであろう

誰かの人生と自分の人生のほんの短い接点を思うと

奇跡とか采配とかいうありきたりな言葉しか思い浮かびませんが、本当に尊い出来事だと思います。

私の体験したセラピーでは、

M子さんとの別れ際に

私が「また会おうね」
と言ったら
M子さんは「うんまたね!」と言って手を振って、

またあっけなく明るく去っていきました。

本当にまた、明日にでもすぐ会えるかのように。

これはきちんとしたセラピーですが

もし誰かに

それはあなたの願望や妄想だと言われてもまったく構わないと思いました。

私はM子さんに会えて

言えなかった事を言えて

気持ち的にお互い分かり合えたと感じ
それで、とても心が幸せに穏やかになった

私の中の心の事実としてそれがあればOKなのだと思います。

それでその時のことを糧に生きられれば。

世の中にはいろんな方法がありいろんな考えがあるので
このやり方は自分には合わないという人もいるでしょう。

そして加えておきますが

「誰かや大切なペットが亡くなったことに対する様々な気持ち」は

人として当然の感情なので

必ずしも急いでどうにか収めたりするものでもないと私は思っています。

時間をかけ、ゆっくり自分のペースで段階を踏み

混乱や怒りや悲しみや後悔の気持ちを味わうのも

非常に大切なことです。

でも、何らかの事情で必要とする人には、確実に必要とされる方法だと思います。

自分の心の中の、亡くなった人、亡くなったペットへの思いを大切にすることは

自分を大切にすることでもあります。

M子さんには、きっとまた会いたいときに会えると思っています。

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